最近「まじめ」という言葉は否定的なニュアンスで使われることが多いそうです。カッコ悪いことの1類型であり、馬鹿にする気持ちを込めることさえあるそうです。
思い返すと、僕は昔からまじめだと言われてきました。でも、中学生時代は羽目を外すことも結構多く、職員室の前の廊下で正座をさせられ、先生から頭をコツンコツン叩かれることもしょっちゅうでした(あれがなければ、もう少しシャープな頭脳だったかもしれないのに・・・)。もう時効だから書きますが、高校時代、三苫から奈多の海岸の波打ち際を無免許バイクで遊んだりもしていました。中学から大学まで、ずっとバレーボールをやっていたので、仲間や先輩と遊んだりするのも体育会系としては普通だったと思います。ですから、本人は「まじめ」と言われてもピンとこないわけです。(ついでですが、事務長のコアラさんは、大学時代インカレの全国大会まで行った卓球の名手なのです。)
しかし、辞書で調べると「まじめ」という言葉の本来の意味は、「本気であること、真心こめてすること」だそうです。それならナットクです。確かに僕は、やりたいことは本気でしてきたと思います。中途半端はいやな性分ですから、やりたいことには本気で取り組んできました。今は、親友のコアラさんと一緒に、理想の小児科診療所作りに本気で取り組んでいます。そういう姿勢をまじめだと言っていただけるのでしたら、誉め言葉として喜んで頂戴することにします。
わが家のこどもたちも、好きなことをトコトンやるところは親に似ているようです。妥協せず、頑張れるだけ頑張るなんてのは、はたからみたらカッコ悪いのかもしれませんが、正しい生き方だと僕は思います。人生を終えるとき、その人生を正しく評価できるのは自分だけなのです。いかに他人の評価が高かろうとも、本人が満足出来ないのであればその人生は空しい。逆に、他人から何と言われようとも、何も成果が得られなくとも、本人が自分は精一杯やったから思い残すことは何もないというのが、理想の生き方だと思います。
そういう意味では、こどもたちには「まじめ」を勧めたいと思います。悔いのない人生は好きなこと・やりたいことに一生懸命取り組むことでしか得られませんから、小さいうちからこれぞと思うことには本気で取り組む練習をして欲しいと思います。そして、ご両親にはそういうこどもさんの姿勢を応援して欲しいと思います。
では、ものごとに真剣に取り組むこどもに育ってもらうコツは何でしょう?おそらく、その答えは「遊び」だと思います。こどもが、強制されてではなく、自発的に取り組んで熱中できるものは、遊びを置いて他にありません。いろんな遊びに熱中し、工夫し、努力し、その成果を実感したり、失敗したりをくり返しているうちに、ものごとに本気で取り組むことができる強さが育っていくんだと思います。僕自身のことを言えば、メンコ遊び、ビー玉遊び、屋根あげ(何のことだかわからないでしょう?)、隠れ家作り、ソフトボール、バレーボール、テニス、コンピュータといろんな遊びに、それこそ「まじめ」に取り組んできました。そして、今は、口の悪い小児科の先輩からはこの診療所作りまで道楽だと言われる始末です。きっと、嬉々として打ち込んでいる様子は遊びにしか見えないのでしょう。
遊びといっても、ビデオやテレビゲームはダメです。その辺はまた別の機会に・・・
(2002年6月29日)