こどもの育ちを考える時、養育、教育、時に療育といったことばが思い浮かびますが、早稲田大学文学部の増山均先生はこれに「遊育」ということばを付け加えられます。遊びを育てる、遊びによって育てられるという意味のことばだそうです。そして、何でも過剰すぎるくらい与えられている日本のこどもたちが最も与えられていないものこそ、この「遊育」だとも言われています。
僕がこどもの頃、それはもういろいろな遊びをしました。棲家(すみか)作り、戦争ごっこ、手裏剣作り、火炎放射器作り、そり作り・・・。ずいぶん物騒なものも作りましたが、思い返すと、木、竹、わら、釘といった材料を道具を使って加工し、もの作りをしていたことに気付きます。そしていつもそばには友達が居て、みんなの知恵や技を出し合ってより良いものを作ろうと努力していたことにも気付きます。また、体力も必要だったと思います。ものを運ぶ力、道具を使う力が必要だし、戦争ごっことなると走る、跳ぶ、投げる、すべての力が必要でした。こういうもの作り、遊びの中で、僕たちの心はそれはもうワクワク、ドキドキし、傍からみればきっと僕らはイキイキしているように見えたことでしょう。遊びの根源的な意義は、そのワクワク、ドキドキした感覚であり、イキイキとした感情や意欲です。
こういう遊びの中では、大脳の前頭前野という場所がフル回転しています。最も創造的、統合的な脳の部分です。「ゲーム脳」と呼ばれるテレビゲーム漬けになっている脳では、この前頭前野の働きが極端に落ちてしまい、脳波を見ると痴呆症の患者さんの脳波にそっくりになるという報告もあります。
以下は増山先生の「遊び」理論です。人間が育つためには、体と心と頭の全体がイキイキと自由闊達に動くことが必要です。子どもにとって「遊び」がなぜ必要不可欠かと言えば、遊びこそが人間が育つために必要なこの自由闊達さを、最も自然に、最も良い条件で保障してくれるからです。だから、このイキイキ、ワクワクする体験が失われてしまったなら、こどもの育ちは貧しいものになってしまいます。人間の活動をつき動かす根源的な「魂(アニマ)」がイキイキと躍動することをアニマシオン(魂の活性化)と呼びますが、 アニマシオンこそ、子どもの体・心・頭を総合的・統一的に育てていく基本的な営みなのです。
さらに、人間にとって「遊び」は、1)社会性を発達させる、2)技(自分の体や道具をうまく使う技術)を身につける、3)知識の土台を豊かにする、4)こどもの心を耕す、5)生命機能を守り育てる;(a) 行動体力を鍛える、(b) 防衛活力(自律神経系・ホルモン系・免疫系)を育てる、といった大切な意味も持っています。
「遊び」を失った育ちでは、どんなに「学び」の時間を増やしても、まともな人間の育ちにはならないことを私たち大人は心しましょう。そして、こどもたちに質の良い遊びを与えられるよう努めましょう。「遊びの復権」が必要な時代ですね。
(2005年9月30日)