先日クマさんと1泊2日のフルムーンに行って参りました。普段の会話はナイトキャップの短い時間にしか取れないのですが、往復計10 時間も新幹線に缶詰にされると、否応なしにゆっくりおしゃべりができ、本を読んだり、ワインを飲んだりと、飛行機より味わいがあって、スローライフもなかなかいいなぁと思いました。
思い返してみるとハネムーンも列車移動でした。貧乏研修医時代でしたので、当時すでにはやり始めた海外旅行ではなく、伊豆半島への気ままな旅でした。時はちょうど伊豆地震の直後、昭和天皇陛下の行幸と日程が重なって、いきなり交通規制に出くわされたり、大変でしたが懐かしい。
あれからすでに四半世紀が経ち、赤の他人同士が夫婦になって、何もないところから1つの家庭を築き上げるのですから、平穏無事・順風満帆であるはずがない。夫婦善哉曰く、道のりはキツネとタヌキの騙し合い云々、まさしく幾たびの山なり谷なりを乗り越え、フルムーンに辿り着いたのでございます。事務長のコアラさんによく「お二人は仲がいいね」と言われます。百の夫婦があれば百パターンの夫婦の形がある中、仲がいい方になれて嬉しく思っております。
職場の若い方の結婚に際し、贈る言葉としていつも申し上げるのは「結婚後は片目をつむって、忍耐と努力を忘れずに!」です。昨年結婚した息子夫婦にも贈りましたが、恋は盲目とも・・・片目ではなく、両目ともず~とつむったままの方がいいかも・・・とも思いました!しかし、自己嫌悪しながら、ついついあら探しを繰り返ししてしまうという悲しい現実もあります。結局夫婦というのは、壊れては修復するという作業をくり返しながら、同じ道を共に走っている感じが致します。
夫婦の形を育て上げるのは私的なことですが、4人のこどもに恵まれたことは私達夫婦にとって大きな社会的貢献だったと思っております。少子社会にあって4人兄弟というのは貴重な存在と大人の世界では評価されますが、しかし、いつの時代においてもこどもの世界には残酷な一面があります。私にとっては目に入れても痛くない末っ子の三男が、小学校に入って間もないころのことですが、「僕っていらない子?」と泣きべそをかきながら学校から帰ってきました。何事かと聞きますと、兄弟が多いことから「あんたは本当はいらない子なのよ!」と同級生にはやされたらしい。深く傷ついた彼のこころを癒すのに、私は幼子にもわかるような言葉を選びながら、父・母のこころにとどまらず、兄弟やアーちゃん(近所の世話好きなお姉ちゃんたち)がどんなにあなたが生まれるのを楽しみにしていたのかを、そしてあなたが生まれてきてみんながどんなに幸せに思ったかを、彼に伝えました。ようやく彼が「僕はいらない子じゃない!」と自分に言い聞かせるように微笑みました。
程度の差はありますが、4人ともそれぞれに登校を嫌がったり、家族との交流を拒んだりなど、悩みや問題をかかえた時期がありました。ポリスのお世話になったこともありました。問題に直面させられた私たち夫婦は、そのつど親としてどうあるべきか、考えたり悩んだり、迷路の出口を探すかのような話し合いをしたりしてきました。場合によってはこどもに内緒で学校と相談したり、また、こどもの方が正しいと判断した場合にはこどもと一緒に学校と渡り合ったりもしました。時にはこどものこころが見えずに苦しんだこともありました。
「同じように育てたのにどうしてこうも違うのか」と嘆いたこともありました。しかし、後になってわかったのは「同じように育ててはいけない」ってこと!愛情が同じでも伝え方に違いが必要だし、それぞれの個性に合わせた育て方でないといけない。こどもがこころを閉ざすまで気づかずに「同じように育てた」のは親として怠慢でした。未熟だったと後悔もしました。こどもの数だけ親子の形が必要でございます。親として成長しなければ・・・「育児は育自・育慈」と、クマさんがならざき小児科の法人名を「育慈会」と決めたのには、このような背景もあったのです。
「ハネムーン」と「フルムーン」の間に、一人ずつ家族が増え、そして一人ずつ羽ばたいていきます。そしてまた、いずれは夫婦二人に戻ります。もちろん楽しいことも数え切れないぐらいいっぱいありました。いま、神様からの贈り物として、とても楽しみにしているのは「孫」の誕生です。もうじき私たちはじいじとばあばになります!感謝!
(2004年6月14日)