子育ておしゃべりコーナー | ならざき小児科

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第44回:いのち、誰がために?

植物は一次生産者として食物連鎖の基礎にあり、あらゆる植物を食べる動物(ヒトも含む草食)の攻撃に遭います。又、多様な病原性ウイルスや細菌の感染に遭うことも多々あります。彼らはただ運命のままにじっとしていると思われてがちですが、実はそうでもないらしいのです。食べられないように、滅ぼされないように戦っているという話です。
 
先ず、食べられないように物理的防御として、「とげ」などの武器を持つ植物があります。あるいは不快な臭いや毒となる物質を生産する化学的防御なる手段を備える植物もあります。時として食べた昆虫を死なせることがあります。
 
病原菌に対する植物の一次防御は人間と同じ「肌」という物理的な防壁です。その防壁が突破され、病原菌に犯されたとき、植物は二次的な防御として化学的反撃を開始し、菌が広がらないように殺菌したりします。病原菌の力が勝っているときに植物が枯死してしまいますが、菌も自らの生存を賭けているので、植物を枯死させずに利益だけ搾り取ることも多いそうです。まさしく人間と微生物との関係にそっくりですね。もう一つは身を切るシステムがあります。ある部位が病原菌に冒された時、二次的防御をしつつ、犯された情報を他の部位にも知らせつつ、犯された部位を封印し、自ら死ぬのです。時々一枚の葉っぱだけ、或いは一枝だけ枯れたという光景がありますね、これは植物と微生物の戦場の跡なのです。
 
また、植物は単独で暮らしているのではなく、生物群集の中で多くの種と相互作用して暮らしています。異種間では共生や受粉仲介者との連携で相互に利益を得ているのはよく知られていることですが、同種間には「早期警告システム」があると解ってきました。つまり虫に食べられているという攻撃を受けたある種の植物は揮発性分子を出して近隣の仲間に攻撃を受けたという「ニュース」を発信し、ニュースを受け取った仲間が防御に備えるように活動しだし、時には今の虫を食べてくれる別種の虫を引きつけるようにもなるのだそうですよ。
 
このように、植物は生えたところでただ運命のままにじっとしているのではなく、我々人間をも含む多くの動物の生存に貢献していると同時に、仲間の生存にも意識を持って能動的にかかわっているのです。何というすばらしい生き方なんだろうと感動せずにはいられません。
 
そして、我が身を振り返り、果たして自分のいのちはこのように他者のためになっているのだろうかと考え込んでしまいました。けなげな植物のように、パワフルに、ワンダフルに、そして、ビューティフルに生きていきたいと願う今日この頃でございます。
 
NCCぞうさん通信第74号(2014年8月)

第43回:福山雅弘とタモリと寅

ヒトの皮膚は通常、皮膚常在菌によって皮脂が分解され、皮膚は弱酸性に保たれ、病原菌となる細菌が増殖しにくい環境となっています。また、健常な皮膚は、アレルギー感作を引き起こす物質は透過させない構造をしています。これらの皮膚防御機構を最大限に発揮するには、常在菌叢を維持するとともに皮膚を傷つけないようにする必要があります。洗浄剤を使ってゴシゴシと皮膚を洗うと、保湿に必要な皮脂や皮膚常在菌までもが落ちてしまい、さらに、皮膚が傷つき、経皮感作というアレルギー感作や細菌感染の原因となる可能性があります。
 
また、服を着けている部位の皮膚の汚れ(汗や皮質、角質の剥離成分である垢)はお湯でなで洗いだけで落ちますので、わざわざデメリットの多い洗い方をしない方がいいと指導している医師が多くいます。もちろんすぐに汚れを落とさなければならない「手洗い」などには洗浄剤を使っていいと言われています。
 
一方、重度の皮膚炎がある場合には、洗浄剤を使った方がいいと主張している医師もいます。なぜなら、病原となる細菌や汗の成分に含まれる悪化因子をしっかり落とさないと皮膚炎の悪化につながる可能性があり、お湯だけではしっかり落とせない可能性があると考えているからです。
 
異なる意見を持つ両者ですが、「使うなら石けんがいい」と「洗い方」については双方の考えが一致しています。
 
石けんは、天然の油脂でできており、弱アルカリ性ですが、流し残しが少々あったとしても、皮膚が弱酸性の状態であるために中和され、界面活性剤としての効果は失われます。一方、ボディーソープは人工的な合成界面活性剤であり、界面活性剤の効果が薄まりにくく、流し残しがあった場合は皮膚バリアを低下させる可能性があります。弱酸性をアピールするものもありますが、本当に皮膚に影響がないかどうかはまだあきらかではないため、「使うなら石けんがいい」のだそうです。殺菌成分や香料が含まれない石けんなら、なおいいとのことです。
 
洗い方は「しっかりと泡たて→泡で優しく撫で洗い→しっかり流し落し→保湿剤によるスキンケアを欠かさずに行う」のが重要なポイントです。
 
ここで福山雅治さんとタモリさんのご登場!彼らはボディーソープも石けんも使わずにお湯だけで体をハンドウオッシュする「タモリ式入浴法」を実践しているのだそうです。乾燥肌で石けん等を使うと痒くてしかたがないので試しに使わずに洗ってみるとずいぶんといいとラジオトークで話をしていました。実は私寅もかなりの乾燥肌、頭部のシャンプー以外は昔からお湯だけでした! 勝手にうふふふ・・・いいともつながり!
 
NCCぞうさん通信第73号(2014年6月)

第42回:最近言うことをきかない

いくつかの保育園、幼稚園の園医をさせていただいています。健康診査で記入していただく問診票に、「最近言うことをきかない」という悩みを訴える保護者が多くあります。確かに私自身の子育て時代にも遭遇した難問でした。言う通りにさせようと怒ったり、脅したり・・・今なら虐待と通報されるかも知れません。今となっては、自分の親としての未熟さ・無力さを痛感し、我が子に申し訳なく、子宮に戻して産みなおしたい、育てなおしたいと思うことが多々あります。しかし、人生は後戻りできるほど甘くはありませんね。

 まだ物言わぬ赤ちゃんの時、私たち親はどのように我が子と向き合っていたのかを思い出しましょう。赤ちゃんの「泣く」という要求に、親はどうして泣いているのかな?お腹がすいた?おしっこ?うんち?暑い?痛い?・・・などのように赤ちゃんの気持ちを考えながらいたれりつくせりでした。要求が満たされれば、天使の微笑みで倍返しを見せてくれます。親はその微笑みに安心し、こころも満たされます。言葉によらない自己主張で親を支配しているという構図ではないでしょうか。このこころの交流から最も大事な人と人の「基本的な信頼関係」を育んでいます。

 ところが、こどもが言葉がしゃべれるようになり、自我を言葉として発するようになれば、親はその自己主張を否定し、親の主張に従わせようとすると、「こどもが言うことをきかなくなった」という悩みになってしまいます。しかし、こどもにしてみれば<赤ちゃんの時には従っていた親が、最近言うことをきかなくなった>と感じるのではないでしょうか。
さあ、どうしましょう?

 イソップ物語の「北風と太陽」を思い出しましょう。旅人の着るものを脱がせたのは強い北風ではなく暖かい太陽でしたね。子育てに限らず人間関係において、きびしい叱責よりも褒め言葉と感謝言葉の方がこころ温まるし、お互いのこころが穏やかになります(69号の<子育てハッピーアドバイス>を参考に)。

 こどもが独立するまでは親に責任があります、叱る気持ちは親としての責任感から発する愛情ですが、褒める愛情の方が結果的に効果が上がるようです。しかし、叱りたい気持ちを押さえて褒め言葉を見つけるのはなかなかできないものですね。

(68号の尾木ママ流叱らない子育てを参考にしてください)
 これには先ず、こどもは親の付属物でも所有物でもなく、親とは別の人格をもっている人間であり、親の言う通りにはならないものだと認識しなければなりません。つまり、子育ては自分育ての人生修業だとお思いになりませんか?
NCCぞうさん通信第71号(2014年2月)

第41回:幼児期に育てておきたい力

 先日、西南学院大学付属舞鶴幼稚園の創立100周年記念講演会がありました。講師は今人気の教育評論家尾木ママこと尾木直樹先生です。小学校・中学校・高校・大学でそれぞれ教鞭をとられた豊富なご経験、マザーリーズ的な語り口に加え、巧みな話術についつい引き込まれた90分間でした。講演の主旨を私なりにまとめてみました。

 結果から言いますと育てておきたい力は「想像力」です。想像力のあるこどもは小学校の高学年に必ず遭遇する学びの抽象化という「壁」を乗り越えることができます。どのように想像力のあるこどもに育てるかが問題ですね。先ずは、その基となるこどもの「自らいろんなことにチャレンジする意欲」を引き出さなければなりません。

 意欲を引き出すためには、生まれた瞬間から始まる親子間の「基本的信頼関係」が大事です。言葉が話せない赤ちゃんの時期から泣き、微笑み、目線、なん語、指差しなどのボディランゲージを次々と駆使してコミュニケーションを求めてきます。それに対する大人の接し方によってこどもの精神発達に大きな差が出てきます。例えば、とても好きなおもちゃが母親の傍にある、そこで母親が笑顔でいると75%のこどもがおもちゃを取りに近づいて来ます、怖い冷たい顔でいると0%、このように好きなおもちゃでも取ろうとする意欲が湧かないという実験結果があります。物言わぬ赤子から大人の子育て力が試されますね。

 このチャレンジ精神をもって、「五感」を刺激する遊び、自然に浸る遊びに挑むことが大切という話が続きます。要するに今の社会に溢れている電子的な・バーチャル的な遊び、あるいははやりのカード式などの「何々式」で一日も早く文字を覚えさせるなどの遊び(トレーニング)では想像力は育たないだそうです。実際に土・水・風・動物・植物など自然に接する遊びから、五感で体感するという学びが大切です。この学びから想像力が広がり、素晴らしい能力に発展することができます。

 最後に「尾木ママ流叱らない子育て」のご披露もありました。叱らないが叱る以上の効果があります。どんな場合でも先ず優しく「どうしたの?」と聞く、こどもにそれなりの理由(言い訳)を話してもらいます。嘘でもいい、「そうだったの、そりゃ大変だったね、つらかったでしょう」と受け止めてやる。そうすると、こどもはそれなりに内省し、行動の変容につながるというのです。先ずは、ガミガミ叱る親から叱らない親に変身せねばなりません。親が変わるとこどもも変わるということですね。

 気づいたときに始めればいい、いまからでも遅くない!という話でした。
NCCぞうさん通信第68号(2013年8月)

第40回:PM2.5、最も危険なところはどこ?

 微小粒子状物質PM2.5の健康影響について、環境省は、注意を必要とする暫定的な指針値を「1日平均で70μg」と決めました。指針値を超えた場合の行動の目安として、外出を控えたり、屋外での激しい運動を避けるなどを挙げています。ただし、呼吸器や循環器系疾患のある人やお年寄り、子どもは「70μg以下」でも影響を受けやすいため、注意が必要としています。

 近年になって、このように中国から飛んでくる越境汚染に皆が神経をとがらせていますが、かつて、高度成長期にあった日本において、今の中国と同じような状況があり、ご存知の通り「四日市喘息」という公害病もありました。ところで、今でも身近のところにPM2.5の濃度が極めて高い場所があるのをご存知でしょうか?子どもにとって虐待とも言えますよ。それは「たばこの煙」です!タバコを吸っている人が一番危険なのです。

 様々な測定データが学会から発表されています。

*乗用車の車内で1人が喫煙したとき「1,000μg」
*自由に喫煙できる飲食店では「500μg以上」
*完全分煙されていない禁煙席では「300μgを超える」
*喫煙者のいない家庭では「20μg程度」
*室内で吸わなくても喫煙者のいる家庭では「50μg前後」。なぜなら、PM2.5はサッシの隙間から入り込む、肺に吸い込んだものを呼吸とともに吐き出される、頭髪や衣服に付着したものもあるため、室内に持ち込んでしまうのです。

 もう一つ重大な問題は、飛来するPM2.5よりもタバコの煙に含まれるPM2.5の方が有害性が高い、その煙には70種類ほどの発がん性物質を含んでいるので、多くの専門家が「怖いのは、タバコの方だ!」と強調しています。

 喫煙をやめるのは我が子を守る「ビタミン愛」の力ですね!様々な禁煙サポートがあります、保健所や会社の産業医にご相談くださいませ。
NCCぞうさん通信第67号(2013年6月)

第39回:どうか、お幸せに!

 世界幸福度指数8位(アジアでは1位)であるブータン王国の若い国王夫妻の新婚旅行先は日本でしたね。日本から見たら、ブータン王国の人々の生活や医療環境はかなりの貧しい状況ですが、国民の90%以上の人々が幸せを実感しているといいます。

 幸福度の調査研究は世界的にいくつもあり、結果は必ずしも完全一致ではないが、共通した傾向としては、北欧やスイスなどヨーロッパの小国の国民の幸福度は高く、日本、韓国、中国といった国は、あまり幸福ではない中ほどのランクにあります。そして下位には旧ソ連圏の国がひしめいています。

 それでは、幸福度を決める要素は何でしょうか?当然客観的には、所得、医療、教育、平均寿命、犯罪率、等などが考えられます。各種調査で1位を占めるデンマークの税金負担は収入の80%にも達しています。それでもデンマークの人々は幸福と感じるようです。上記の指標でいえば幸せであるはずの日本と韓国の人々はあまり幸福と感じていません。一方で、ラテンアメリカの国の人々が、指標から予想されるよりは相対的に幸福と感じているのは、なぜでしょうか。

 日本政府が新たに幸福度を測れる指標(幸福度指数GNH)づくりを考えているようです。その基礎調査によって日本人が幸福と感じる上位要素は①健康②家計③家族であることがわかりました。私も同様に思っていました。しかし、ブータン王国のものとは全然違っていました。彼らが最も重要と思っているのが「人間関係、隣人関係、家族関係の平和と交流」だそうです。人を思いやり、信頼し合うことが根源のようです。

 要するに幸福はお金や持ち物では測れない、幸福は人間関係の穏やかさ、心の豊かさからしか得られないということなのでしょうか。
 自分自身に置き換えてみれば、今までの人生に失ったものがたくさんあります、連れ合いを失くし、健康を失くし、数えれば不幸だなと気持ちも沈んでしまいます。しかし、今の身の回りに目を向ければ、抗ガン剤はつらいけどまだ普通に生活ができている、社会人に成長してくれたこどもたちがいる、可愛い孫もいる、助けてくれるたくさんの仲間がいる、こんなに多くの愛に包まれて今を生きているのです、これを幸福と言わなければ何と言いましょう。

 年頭にあたり、ブータン基準で皆様も幸福感につつまれて過ごしてほしいと願っております。どうか、お幸せに!(寅2013年元旦にて)

<蛇足>ブータン王国の人々の幸せを感じることのもう一つの根源は「足ることを知る」という精神があり、これを支えているのはチベット仏教の信仰心だそうです。今の日本では、お宮参り、七五三、初詣は神道、チャペルウエディング、クリスマスはキリスト教、お盆、お葬式は仏教のように、無頓着なのか、しなやかに混在を受け入れています。信仰というより商業ペースにファッション化されているようにも感じられます。よほど心を強くしなければとても「足ることを知る」の精神には辿りつけられないかもしれないね・・・・
NCCぞうさん通信第65号(2013年2月)

第38回:朝日が大事

 今年の夏、診療所の待合室側に節電に貢献してくれていたグリーンカーテンが広がり、きれいな朝顔がたくさん咲いていました。花もいいけど、せっかくなら花のあとに食べられるものもあればもっといいな・・・とスタッフ一同が。それであーだこうだと結論に至らずに混線していたので、花壇を管理してくれている園芸専門の東さんに訊ねることにしました。話を伺ってびっくり!ヘエ~そうですか!植物は人間と同じなんだ!と目からうろこでした。

 まず一つ目はこういう話です。待合室は西側ですので朝日があたらない、朝顔は強いので夕日でもきれいなグリーンカーテンに育ちますが、私たちがもくろんでいるゴーヤなどは土も重要だが「朝日」が当たらないと育たないのだそうです。

 南極では太陽の沈まない白夜と太陽の出ない極夜があり、極夜の間、昭和基地に滞在している研究者達は皆体調が悪くなったといいます。要するに朝日を浴びることで体内時計のリセットや脳内のセロトニンの活性化が高められ、精神状態の安定、安眠が得られ、老化防止にもつながるといういい効果があるのです。極夜では朝日がないので体調が悪くなるというのです。数年前から全国的に「早寝、早起き、朝ごはん」運動が展開されているのはこういう理由があるからです。

 私が若いママだった頃、夏休み中、日曜日と盆休み以外は毎日6時半にはこども達と老人会が公園に集まってラジオ体操、ママ達も当番で出ていました。出勤する私にとってはこどもと共に気合で夏を過ごしたものです。最近では、6時半は早すぎるとか近所迷惑になるとかの理由で、お盆前後10日間ずつだけ、しかも7時や8時になったり、何たる気合いのない世界と嘆く私・・・まぁ、とにかく朝日を浴びるのはいいことであるようです、いにしえの知恵に「早起きは三文の徳」と言うじゃありませんか。

 もう一つは「適材適所」の話。人にはそれぞれ向き不向きがあるのと同じように、グリーンカーテンという目的のためなら葉っぱの大きい植物の方がいいとのこと。能率主義でいきますと葉っぱの小さいゴーヤは却下されてしまう?ん・・・まあ、当然と言えば当然ですが、葉っぱの小さいゴーヤでも朝日をたくさん浴びれば役立つように茂ってくれるかも・・・と未練がましく期待も込めて、一番いい環境をゴーヤにあげて、隣にきゅうりとへちまにしようと密かに決意をし、鬼も笑う来年の収穫を皮算用しながら来年が楽しみじゃ!の私でございます。
NCCぞうさん通信第64号(2012年12月)

第37回:手をつなごう

 西洋では握手、頬ずりの習慣があります、日本では距離をおいてお辞儀をするのが今までの挨拶の習わしでしたが、最近の子どもたちは皆「タッチ」をします。いい悪いは別にして、少し距離感が縮まっている感じがします。

 小さい頃すりむいた膝に、母が指でちちんぷい!ちちんぷい!痛いの痛いの飛んでけ~とおまじないをしてくれたのを、また、夢にうなされた時背中を擦ってくれた母の手がとても強く感じたという記憶は還暦を過ぎた今でもなお心の奥に残っています。料理をする母の手、服を縫ってくれた母の手、何でもできる魔法の手のように思ったものでした。もちろん叩かれたこともある怖いしつけの手でもありました。

 以前、テレビから流れてくる老夫婦が手をつないでルンルンと坂道を下っていく微笑ましい光景にとても憧れました。後に函館を訪れた際、撮影の坂で無理やりクマさんの手を握って歩きました!ロケーションの眺めも風も気持ちがよく幸せな気分でしたよ。

 ところで、私はいまでも母と手をつないで歩きますが、我が子がある程度大きくなったときに手をつなごうとすると嫌がられました。普通と言えば普通だけれど、ちょっとさびしいなと思いました。でも、この度病気になって手術をうけたとき、こどもたちは黙って私の手をしっかり握って励ましてくれました。大きくて暖かい手が心強く感じました。あらためて生れてくれてありがとう、しっかり成長してくれてありがとうと感謝しました。

 九大病院を度々訪れることで、老夫婦の姿がよく目に映ります。助け合いながら手を取り肩を寄せている姿は人生の歩みであり、顔の深い皺までがとても美しく輝いて見えます。

 「手と手のしわを合わせて、幸せ」というコマーシャルがありますね。以前は自分の両手を合わせてでしたが、今は自分以外の誰かさんの手のしわと合わせてという設定になっています。相手がいてはじめて幸せ、本当にそう思いますね。親子であったり、兄弟姉妹であったり、夫婦、友達・・・。なかでも子どもにとって、やはり母の手が一番の幸せではないでしょうか。

 手をつないで歩く姿は幸せの風景そのものでございますね。
NCCぞうさん通信第61号(2012年6月)

第36回:こどもの世界で育って輝け!

 お正月に7歳、5歳、2歳の孫たちが遊びに来ました。上の二人が初めて親から離れての単独お泊りもしてくれました。パパの奪い合いをしたり、喧嘩したり、仲直りしたり、3人を観察していると実に面白い。また、親がいない時の自立度の高さに、思わずとある本で読んだお釈迦様の教えを思い出しました。

 ある時、お釈迦様が若い衆から「子どもは何人がよいか?」と尋ねられました。するとお釈迦様は「三人以上がよいでしょう」とおっしゃったそうです。「あなたの両ひざに一人ずつ座り、3人目は次の順番になるのを我慢して待たなければなりません。子どもは育っていく過程ですべてが思い通りにはならないことを自然に学んでいくのです」と若い衆に教えられたそうです。古今東西を問わず子育ての基本は同じですね。

 競争する同世代のライバルがいるかどうかということは、子どものこころの育ちに大きな影響があり、一番近いライバルは兄弟です。二人目が生まれた時、上の子が赤ちゃん帰りをすることはよく見られることです。それは独り占めしていた親の愛が奪われることへの不安と不満の表れです。下の子がある程度大きくなってくると、子ども同士の世界が形成され、大きい子が守ったり、小さい子がなついたり、喧嘩と仲直りをしながら子どもなりの経験から人間関係を築いていきます。自分たちで解決できない時には絶対権力である親に告げ口直訴もします。実はこの「告げ口直訴」は大人の世界に限らず子どもの世界でも嫌われる行動で、決してやってはいけない行動なのです。3人いると二対一の力関係を子どもなりに学び、仲直りの方法を見つけるようになるので、告げ口直訴の行動が少なくなります。

 また、告げ口直訴に対して、親は介入し過ぎない方がいいでしょう。「お兄ちゃんでしょう!我慢しなさい!」と簡単に片づけると、受けとめてもらえない気持は暴力に変わることがあるからです。訴える子の言い分と訴えられた子の言い分を聴いて、気持ちを受け止めてやるだけで一件落着ということは多々あります。

 兄弟というライバルがいない場合には、子どもたちを子どもだけの集団に浸る環境を用意した方がいいでしょう。大きな危険のないかぎり、陰ながら見守るだけで十分です。多少痛い目にもあって、経験を積み重ねていくと、子どもは自分で考えて行動できるように成長し、輝くのです!

 年頭に当たり孫達の輝く成長に目を細めているばぁばでした。
NCCぞうさん通信第59号(2012年2月)

第35回:大きくなったら何になりたいの

 駐車場にあるこどもさんたちの絵パネルが数年間風雨にさらされ、ずいぶんといたみましたので、この度新しく衣替えをするために「大きくなったら何になりたいの?」をテーマに絵を募集しました。たくさんの夢があつまってきました。電車の運転手、家を建てるひと、お母さん、幼稚園の先生、野球選手等々、夢と希望に溢れるこどもっていいですね!
 我が子の小さい頃を思い出してみますと、それなりに色々となりたいものがありました。あの頃はキャプテン翼の影響でサッカー選手に、幼稚園の先生が好きで幼稚園の先生に、昆虫いじりが好きな頃は虫の先生に、お花屋さんやケーキ屋さんに、梨が好きで梨のお嫁さんに、夏休みに私のかつての職場に連れて行ったときにはお母さんみたいにと言われたときには感動でした!

 大きくなって具体的に進路を決めるころには、それぞれに希望と能力の板挟みで悩みました。希望は自分で探すもの、能力は自分で努力するものなので、親としてできることは限られています。レールを敷いてやるのではなく、レールが敷きやすいように環境を整えてやることだと心得、応援団に徹しました。なりたいものになっているのかどうかは本人たちにしかわかりませんが、何とか4人とも社会人になっていることが親としてよくぞ成長してくれたと嬉しく、感謝の気持ちでいっぱいです。

 今の私は夢見る孫の話に耳を傾けるばぁばですが、むかしばぁばはこんなものになりたかったと話すと、彼らはびっくりします。ばぁばにも夢見るころがあるとは思っていないのでしょう。私にはこういう人生の展開になるなんて想像もつきませんでした。夢見る頃とはずいぶんかけ離れていますが、これが人生というものでしょう。人生は、日々未知との遭遇であり、いいこともあればつらいことにも出会います。普通に生きていることの幸せに感謝し、その場その場で最善を尽くすことで未来が拓かれると信じています。

 前院長クマさんがこんなことを言っていました。「人生のキャンバスをどのように豊かに描くかはこどもたち次第!夢見るこどもたちが人生のキャンバスを豊かに描けるように応援していきたい。」

 豊かにカラフルにな~れ!
NCCぞうさん通信第58号(2011年12月)

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