子育ておしゃべりコーナー | ならざき小児科 - Part 3

福岡市東区和白 医療法人育慈会 ならざき小児科

子育ておしゃべりコーナー

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第24回:2004年 母の日に寄せて

 私はこれまでに2度幼子の死に直面したことがあります。最初は私が中学2年生の時、同級生を脳腫瘍で亡くしたのですが、仲良しだったのでずいぶん長い間悲しみに明け暮れました。もう1つは、私が医者になりたての頃、主治医ではありませんでしたが、病棟で仲良くなった白血病の女の子でした。彼女はある日突然逝ってしまったのです。そのときは、これから自分の医者としての生涯に幾度もこういう場面に出会うだろうと覚悟し、悲しみを心の奥に押し込んだ記憶があります。しかし、その後私は保健所で仕事をしてきましたので、直接幼子の死と接する機会はありませんでした。

 主人の母からは、小さい頃に病死した主人の弟の話をよく聴かされます。義母の心の中ではその弟がいつも共に生きているのが、手にとるように鮮やかに分かります。母親ってすごいなと感じます。

 また、こども病院に勤務していた20年の間、主人が見送った子ども達の話もそのつど聴いてきました。若かった自分の経験の中では、逝った彼女らのことは頭にあっても、彼女らの母親のことまでは考えたことがなかったと、後々になって気づかされたのでした。病気のことだけではなく、「病気のこどもとその家族」のこころのケアをも含めて考えなければならないという、障害児医療に関する彼の医者としての理念と実践は尊敬に値し、心打たれました。

 主人の話を聴きながら、あまりにも早く走り抜けた子ども達はきっと心ではこう思っているのではないかなと想像しながら<お母さん ありがとう!>を書き留めてみました。主人とすべての母親に捧げたいと思います。

 

<お母さん ありがとう!>
 

僕が生まれて そして 僕は行ってしまった

短かった僕の一生でしたが

お母さん 産んでくれてありがとう!

 

初めから僕にはわかっていた

僕は神様から選ばれた特別なこどもだってこと

お母さんを悲しませて ごめんね

僕をありのまま受け入れてくれて  お母さん ありがとう!

 

病院の人たちも良くしてくれたけど

お家に帰れて 良かった

みんなと過ごせて 良かった

たくさんの思い出ができて 良かった  お母さん ありがとう!

 

僕はこのお家に生まれて良かった

胸から溢れそうな、いっぱいの愛情を受けて

僕は僕なりに精一杯生き抜いたよ

お母さん たくさん世話してくれてありがとう!

 

いま、僕は自由なんだ

何処へでも行ける

お母さんには見えないけれど

僕はいつもお母さんと一緒だよ

ほら!目を瞑ってごらん 感じるでしょう?

 

だから お母さん 泣かないで!

僕はお母さんの笑顔が大好きだよ

お母さん!たくさん笑って!  お母さん ありがとう!

 

(2004年5月7日)

第23回:オンリーワンの自分らしさ

 皆様もご経験があるかと思いますが、子どもが生まれると実にさまざまな「ダイレクトメール」や「電話セールス」が舞い込みます。わが家にも、オモチャ、子供服、早期知育の教材や幼児教室、家庭教師等々、ビックリするほどたくさん来ました。

 特に、0歳児からの幼児教室、入園準備コースやお受験コースなど、「今始めないと間に合いません!」「自立をお手伝いします!」というような魅惑的なキャッチフレーズに、私もこころが動揺した時がありました。以前にも触れましたが、主人の方針でわが子には塾などにしばられる生活はさせないという事で通してきました。幸いわが家ではどの子も個性豊かに自分らしく成長してくれたことに感謝!また、知人のように「大金をつぎ込み、幼児教室や受験塾に明け暮れる」ということもなくすんだので、主人の強い信念に感謝しているところでございます。 

 育児の究極的な目標は「社会に役立つ大人になる」ということで、それには身体の自立、こころの自立、生活(身の回り)の自立、経済の自立等々、人間は社会の中でこのように多角的に成長し自立する必要があります。中でも「こころの自立(こころの育ち)」により「自分らしさを持つ」ということが何よりも重要ではないかと思っております。

 こどもの精神発達の専門家によりますと、「自分らしさ」というのは心の欲求と社会のルールとの折り合いの反復学習から作られるそうです。「三つ子の魂百まで」と言われるように、出来るだけ人生の早い時期にこのような折り合いの学習を経験させた方がいいようです。ただし、乳幼児にとっての学習というのは、いわゆる早期知育の「お勉強」ではなく、日々の「生活」と「遊び」が基本です。早く字が読める、九九ができる、英語が話せるなどは、こころの育ちに何のプラスにもならないどころか、逆に実体験に溢れる生活時間や自由に遊んで自発性を育む時間が削られてしまうことが、子どものこころの健全な育ちを妨げている可能性があるとも言われています。

 つまり「自分らしさ」というのは、理性や情感を司る脳(前頭葉)の発達によって形成されるので、それには「お勉強」やテレビ・ビデオ・コンピューターゲームのような「バーチャル的な体験」のたぐいのものではなく、くすぐり・抱っこ・水遊び・砂遊び・どろんこ遊び・路傍の花の美しさや匂いを感じる・虫の命にこころを寄せる・本に親しむ・仲間遊び・お手伝いなどなど、視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚という5感覚をフルに刺激する「生活と遊び」がいいのです。早期知育にはいろいろの「教育法」に基づくものもありますが、しかし、与えられた教材など一定的なプログラムに管理されるより、日常の生活の中で、近くの公園で、路地裏で、地域の様々な人間関係の中で、刺激を受けることの方がはるかに「自分らしさ」を豊かに広げることが出来るのだそうです。

 特に近年に見る若者の心の荒廃ぶりから考えますと、やはり幼児期には知育より自分らしさのこころ育ちの方を優先させるべきだと私は思うのです。「自分らしさ」の前頭葉さえしっかり発達させておけば、自然と考える力、判断する力がついてくるし、しなければならないことも自ずから分かってくるので、その時こそ知育の始め時ではないかと考えています。

 いままでわたしたちの社会は、子どもたちに対して、個性的な自分らしさよりも「上質な規格品」を期待してきたのではないでしょうか。赤ちゃんに限らず、学校などの集団生活では手がかからず、おとなしい「おりこうさん」が好まれるし、「1番」を尊び、個性的な子は嫌われる傾向にあります。こういう社会を作ってきたわたしたち大人の反省と改善が急がれるべきなんです。

 しかし、社会の変化を待ってはいられません。もし早期知育をとお考えなら、まずは、子どもと一緒にご近所を探索したり、バスや電車に乗ったり、自然の多いところへ子どもを連れて行ったりしてみませんか。最近は、どこの地域にもボランティアさんが支援している育児サークルやサロンのようなところもありますし、また、地域の子供会活動、学校のPTAや自治会活動もあります。親が積極的に参加する姿は、子どもたちにとって素晴らしい刺激とお手本になりますので、是非お薦めしたいと思います。

 自然、異年齢児、親以外の地域の人々との触れあい、親の後ろ姿は、「オンリーワンの自分らしさ」を育てるための大切な栄養剤であることを、こころに刻んでおきたいものです!

(2004年4月8日)

第22回:最近の虐待事件に思うこと

 悲しいことに、子どもの被虐待死の痛ましい報道を毎日のように目にします。虐待されている子どもは生後数ヶ月の乳児から年齢は様々。虐待している親の方は、必ずしも若年ばかりではなく分別あるはずの社会人のこともあるし、継父母のケースもあれば実父母のケースもあります。

 新聞報道の情報しかないので具体的な真相は分かりませんが、殺意を抱いているのはごくわずかで、ほとんどのケースは感情のコントロールが出来ずに暴力に走ってしまって、大けがさせたり死なせたりしてから事の重大さに気づくという顛末のようです。

 事件がおこるたびに、育児支援はどうなっているんだ、児童相談所はどうしていたんだ、というように責任問題の矛先があっちこっちに向けられます。最近、国は相談・支援体制の再構築のため法の改正に動いているようです。もちろん体制を整えるのは緊急を要する大切な対策ですが、虐待が起こった事後の相談支援よりもっと大切なのは虐待が起こらないようにする予防的な対策ではないかと思います。

 「親が感情のコントロールができない状況」を考えるとき、その人の育ちの過程にある社会環境までさかのぼって考えなければなりません。人は誰でも赤ちゃん時代があり、そこでは家庭という一番小さな社会の影響を大きく受けています。大きくなっていくと、地域や学校という社会環境の影響を受けます。現在こんなに虐待の心理が広まっているというのは、今私たちが生活している「社会」に問題があるのではないかと私なりに疑問を感じています。つまり、少子社会のつけが回ってきたのではないか、と思っています。

 かつて、兄弟が多かった時代には、上の子が下の子を世話するのは当たり前、地域にはガキ大将が取りしきる子どもの世界もありました。子どもたちは、あっちこっちの家になだれこんで、可愛がってもらったり叱ってもらったりという、こころの育ちの環境もありました。そういう環境の中で、自然に人づきあいという人間関係の学習ができていたのですが、少子社会ではそのような人間関係の学習機会に恵まれなくなっているのです。しかも、子どもが少ないので小さいときから何でも与えられるという受け身の経験しかなく、自分より小さい子や弱い立場の相手に何かをしてやる(世話をする=与える)といった主体的な経験もないので、いざ親になった場合に、相手(子ども)が自分の意のままにならないともうどうしたらいいか分からなくなり我慢ができずに暴力に走ってしまう、という状況なのではないでしょうか。

 予防対策として大切なことは、乳幼児期から家庭以外のところでいろんな人と触れ合う機会を多くもつ事ではないかと思っています。特に年齢層の違う子どもの集団や地域の大人とも触れあえる集団など、例えば最近よくある育児サークルや子育て支援サロン、あるいは地域の行事やお祭りなどに積極的に顔を出したりした方がいいように思います。

 「勉強がよくできる」と「人づきあいがうまくできる」とは全然違う能力ですが、人間社会でより良く生きるためにはまず人間関係がうまくできることの方がずっと大切だとは思いませんか?テレビ・ビデオ・コンピューターというバーチャル体験より、実体験の方がこころの育ちにはずっと重要です。特に自分より立場の弱い相手を世話するという関係は、「感情をコントロールする自律心」を育てるのにとても大切な経験ですので、小さいときから大いに機会を与えたいものです。

 一方、虐待している親の一部は、実は自分自身が子ども時代に虐待されていたと言う事実があります。これは良く知られている「世代間連鎖反応」であり、「自分が親から虐待されている」という体験が「自分が自分の子を虐待してもいい」という無意識の価値観を作らせてしまうらしいのです。これに気づいて自分が子どもを虐待するかもしれない、あるいは虐待しているかもしれないと、一人で苦しんでいる人もたくさんいます。大切なことは、自分がこの「連鎖」にあると気づくことです。一人で悩まないで相談して欲しいと思います。

 ならざき小児科はあなたのこころの支えになりたいし、必要があればネットワークしている専門の先生にも紹介しています。

(2004年3月4日)

第21回:♪歩こう~歩こう~♪私は元気~♪♪ 「お散歩のすすめ」

 元旦の昼下がり、長男と末息子は高校バスケット部正月恒例のOB戦に出かけ、年始の挨拶に来ていた次男夫婦も帰ったあと、クマ院長と娘のとんちゃんと私の3人で診療所の近くの三苫海岸沿いにある2つの神社に初詣に行きました。車で回れば30分もかからないのですが、散歩がてら、約2時間かけて回りました。

 2つの社の間は松林を抜けて砂浜の海岸に下りて歩きました。診療所の中庭ギャラリー用に松ぼっくりを拾ったり、この海岸をバイクで無免許でぶっ飛ばしたクマさんの高校時代の思い出話(非行歴?)を聞かされたりしながらでしたが、元日の海かぜはとても気持ちがよかった! 私たちと同じように海岸を歩いている人や波間にたわむれているサーファーも多く来ていました。診療所にかかりつけの子ども達にも会いましたよ。クマさんは子ども達に混じって海岸の岩に登って遊んでいました。子ども達の健康と健やかな成長を祈りながら、♪歩こう~歩こう~♪と口ずさみ、とてもゆったりした気持ちのお正月でした。    

 子ども達が小さかった頃のことを思い出してみると、よく近くの公園まで「お散歩」に行きましたし、休日には雁ノ巣運動公園にも行きました。何かイベントや目的があるわけではなく、ただぶらぶら、路傍の花を摘んだり落ち葉を拾ったり、虫を見つけたり、水たまりにわざと入ったり、空を眺めたり、お正月にはたこ揚げもしました。それだけでもとっても楽しかったのを覚えています。 

 しかし、いつしか何でもより速く、より効率よく・ ・・ウォーキングも心肺機能を高めるために、速歩きしましょうなど(実際「速歩き」という健康づくりの「運動」を推進するのが私の仕事ですし、私自身もせ っせと脈拍を上げて歩くように実践してきまた)、歩く事しか考えない歩きになってしまいました。しかし、そんなに効率ばっかり追求しなくでもいいのではないかと最近思うようになりました。むしろ気の向くまま、足の向くまま、周囲の景色を楽しみながら、道草や寄り道・回り道をしてのんびり歩く方が実に楽しいのです!一昔前のテレビCM「狭い日本、そんなに急いでどこへゆく?」というのが思い出されます。最近本当にそう思います。(体力が落ちた証拠かな?)  

 ちょっと前に、幼稚園の先生をしている次男が作成した「クラスだより」に”お散歩のすすめ”というコラムがありました。公園でもいい路地裏でもいい、子どもの気持ちになって子どもと一緒に何かを発見しながら、道草を楽しんでくださいというような内容でした。その時はただ「ああ、この子もいいことを言うなぁ」としか思わなかったのですが、最近、久しぶりにお散歩をやってみると、速歩きでは気づかない発見や気持ちのゆとりを体感し、つくづくお散歩こそがウォーキングの神髄であると思うとともに、彼のお勧めである親子ふれあいの楽しいツールでもあると再認識しました。ぜひ皆様にもお勧めしたいと思います。

 目まぐるしいご時世ですが、スローフード、スローライフにスローウォーキングを取り戻したい今日この頃の私でございます。

 ♪歩こう~歩こう~♪私は元気~♪歩くの大好き~♪どんどん行こう~♪ トトロに会えるかも・・・

sanmpo

iwnobori         
後記:元日のコースは、実は昨年クマさんとのお散歩で見つけたコースで、気の向くまま、奈多方面に出たり、雁ノ巣方面に出たりするのですが、つい美味しいお店に道草して、歩いて消費したカロリーをはるかに超えるカロリーを頂いたりしてしまいます。でもとても楽しいのでございます!

(2004年1月17日)

第20回:「近況報告:結婚!」

平成15年10月31日

<その1>

 昨年の真夏におこなった両家の顔合わせの会からちょうど一年後。この夏に、彼らは結婚しました。

 まわりからは「息子さんの結婚の準備で大変でしょう?」と、よく聞かれました。しかし、今時の若者の趨向では、結婚というものは「両家の」行事というより「二人の」イベントなのです。私たちはただ招待を受けてお祝いに駆けつけただけでした。親にとっては全然手のかからないものでしたよ。

 結婚式はお互いの息づかいが感じられるほど小さな式場で、参列者が二人を囲む形での簡素ながらも厳粛なものでした。

 披露パーティでは、両家の両親がそろってウェーディングケーキ入刀とケーキの食べさせ合っこをするという思わぬプログラムにビックリ!懐かしいやら、恥ずかしいやら・・。また、幼稚園での彼の受け持ちの子ども達によるお祝いの歌や踊りのご披露もあって、とても彼ららしいイベントでした。私たちにとっても楽しい思い出になりました。

 物づくりに長けた彼らしく、式場でのウェルカムポスターから参列者へのメッセージカードなど隅々まで手作りで、二人の気持ちが伝わるほのぼのとした式と披露宴でした。

 独立に向けて、一年間を要した巣作り工程を目の当たりにしましたが、幼少時のあの無鉄砲さからこうも成長したかと感心し、きっと素敵なお嫁さんのおかげだと感謝し、二人の行く末に幸多かれ!と祈る私でございます。
Ken
 

<その2>

 開院当初から看護スタッフとして働いてきた近藤看護師が結婚しました!看護師として大変優秀で、女性としてもとても素敵な方です。このままず~と居て欲しかったのですが、彼女の幸せのため、我々は涙を飲み、笑顔で嫁ぐ彼女を送り出しました。院長と事務長が結婚式に列席するために天草に行って来ました。幸せ顔でメロメロの花婿に一発パンチを喰らわせたかったのでは・・・・?!以下はクマ院長のレポートです。

 結婚式・披露宴は美しい天草の島々を借景にした式場で行われました。近藤さんは幸せそうでした。お婿さんはもっと幸せそうでした。クマさんは挨拶をしました。福岡からノートブックとプロジェクタを持参し、パワーポイントを使って型破りの来賓挨拶をしました。近藤さんが根っからの小児看護のプロで、嫌いだったコンピュータを使いこなすまでになった女性で、何よりも心優しくて信頼できる素晴らしい人格を兼ね備えた女性だと、そしてわがNCCにはなくてはならない女性だということを強調してきました。その挨拶の奥には、「だから大事にしないと承知しないぞ」、「何かあったら帰っておいで」という気持ちがあったんですね。まるで娘を嫁に出す父親みたいだな。(クマさん)
kondo

第19回:「『エンゼルプラン』って誰のため?」

「日本の子どもはいつ家族と過ごすのですか?」
「こういう育児環境って幸せですか?」

 ある時、外国から来た見学者に日本の「エンゼルプラン」の説明をしていて、上記のような質問が飛び出してきました。私は答えに窮してしまいました。

 なぜなら、我が国の少子化社会対策である「エンゼルプラン」では、緊急的な最重要課題のほとんどが「保育対策」だからです。延長保育から始まり夜間・休日・病後児保育といった具合に、多様な保育サービスを推進してきました。待機児童を減らすため、認可保育園の規制緩和もありました。

 私が新米ママだった頃に比べれば、確かに預けやすい保育環境は整ってきました。しかし、乳幼児を長時間親から引き離す保育施策が果たして本当に「エンゼル」のための「エンゼルプラン」なのかどうかは、ママさんに限らずパパさんたちにもよく考えて欲しいと思います。

 男女雇用機会均等法により女性の社会進出の機会が確実に増えてきました。そのためには働きやすい環境づくりが必要、だから預けやすい保育サービスの充実が必要という論法は、一見非の打ち所がないように思います。しかし、実際には単に女性の企業戦士を量産するための体制作りであり、しかも家事・育児は女性がすべきという性別固定観念は相も変わらぬ社会状況ですから、女性はますます”頑張らなくては”やっていけない世の中のように思えてなりません。

 私はエンゼルプランが最初に発表された平成6年から、『「エンゼルのための」親の働きやすい環境=エンゼルを預けやすい保育環境』ではないと、ずっと思っていました。後に出た平成11年の「新エンゼルプラン」の基本方針に「働き方についての固定的な性別役割分業や職場優先の企業風土の是正」という項目を見たときには、やっと日本でも企業戦士であるパパさんたちの家庭回帰が始まるのだとエンゼルのために喜びました。そして、さらに平成14年の「少子化対策プラスワン」の四本柱にも「男性を含めた働き方の見直し」というフレーズまで登場しています。

 しかし、未だに「男性の育児休業の取得率」がすずめの涙にも満たない状況にあります。逆に育児休業が取れないママさん企業戦士のために、乳児保育制度を新たに設けたりしています。国は本気で「働き方の見直しについての社会的コンセンサス」を推進する気があるのかとても疑問に感じています。

 ちなみに、平成14年の出生数も合計特殊出生率も史上最低の記録を更新していますが、これは保育対策だけでは安心して子どもを産もうという気にならないという気持ちの反映ではないでしょうか?

 子どもの心身の成長の基本はやはり家庭です。こころの成長には「父性」も「母性」も必要です。年齢や場面によって、母性が前面に出たり父性が前面に出たりのバランスが大切です。一人の親ですべてを背負うにはやはり荷が重い。家庭での愛され・愛するの人間関係を十分に育んでからでないと家庭の外での競争から始まる人間関係に耐えることが出来ない、子どもが小さければ小さいほどその影響が大きいと言われています。ですから、家族で過ごす十分な時間が取れるような育児支援施策こそが本当に必要な「エンゼル」のための「エンゼルプラン」ではないかと常々思っていましたので、冒頭の質問は私の中にある疑問でもあったわけです。

 人間は自己表現のために働くことも確かに重要ですが、太古から続いてきた遺伝子の伝承は限られた人生の中の限られた時間にしかできない種としての大切な仕事です。今の時代だからこそ、こころ豊かな成長を願う育児支援を考えましょう。

第18回:「子育ては難行苦行? 臭い仲?」

まずはオムツの話。長男、次男が生まれた20数年前のころ、オムツの主流はまだ布オムツでした。年子ゆえ、我が家は一部貸しオムツにしました。貸しオムツは週に2回の集配でしたので、冬場はまだ良かったのですが、夏場には匂いが漏れないようにするのに大変でした。その頃の保育園事情は今ほど整備されておらず、また親元から遠く離れていたので、私は2年半ほど専業主婦で、育児に明け暮れ、オムツと格闘の臭い日々でした。

長男が1歳半、次男が4ヶ月の真夏、車のトランクに山ほどの貸しオムツを積んで、冨士五湖へ夏休みのドライブ旅行に出かけました。行きは良い良い、帰りはこわい。トランクをあけてみると、使用済みのオムツが「発酵」したのか、袋がパンパンに膨れあがって今にも爆発しそうになっていました。ガス抜きしながらの臭い旅でした。今となれば懐かしいな・・・

娘と三男が生まれたころには、世の中はすっかり紙オムツが主流の時代になっていました。でも、我が家には沢山の布オムツがあったので、環境にも良いだろうと思い、相変わらず私は布オムツを使いました。でも、お出かけには便利な紙オムツも使うようにしましたので、子連れ旅は快適!

ある時、クイズ番組でこんな話を聞きました。「古代ローマのクリーニング屋さんは決まって町のはずれにあり、道行く人々は必ず大きな桶に何かを残していきます。さて、何でしょう?」・・・・答えは「おしっこ」でした。なぜかというと、おしっこのある成分に漂白作用があるんだそうです。よく考えてみると、おしっこというのは元々無菌状態ですので、さっそく私も実験してみました。うんちのあるオムツは水洗いしてから洗濯機に入れますが、おしっこだけのオムツはそのまま洗濯機へ直行、うんち色の付いたオムツの洗い上がりは、驚いたことに、真っ白!です。本当に漂白作用があるんだ!それからは、我が家のオムツ洗いに市販の化学成分入りの漂白剤は使いませんでした。しかし、いくら合理主義の私でも、おしっこといっても赤ちゃんのもの以外は使う勇気がありませんでした。古代ローマ人はすごい!。

赤ちゃんが後追いをする時期になりますと、親の都合は何だろうとおかまいなしに、親の姿が見えなくなると不安泣きをします。しかたなしにトイレにもおんぶやだっこで一緒に入ります。臭い仲です。しかし、後になってわかったのですが、この臭い仲はトイレットトレーニングに役立つんですね。

長男が生まれたころ、私も全くの新米ママでしたので、近所の先輩ママさんのやり方を「まね」しながらの育児でした。長男のトイレットトレーニングの時、考え方がかなりアメリカナイズされた、ある素敵な先輩ママさんのスパルタ式育児を真似してやりました。でも、私にはうまくいきませんでした。親子にすごいストレスだけが残りました。無知で未熟な新米ママでした。

どうせそのうち出来るようになるでしょうし、少しばかり早くオムツがとれたからといって何になるの?と考え直してみると、そうせかさなくてもいいじゃないと開き直ることができました。子どもは何でも「親のまね」をするので、おまるをトイレに入れたりしていろいろ工夫をしました。臭い仲が続きました。

こういう事もありました。ある時娘が急にトイレに入りたがらなくなったので、よく話を聴いてみると、トイレに飾ってあるミロの抽象画(クマ院長の好み)が怖いというのです。子どもの好きな絵に換えたら、また喜んで入るようになりました。

我が家の子どもたちは、4人とも幼稚園の3歳児クラスから入園しました。それまでには排泄自立も出来て問題はありませんでしたが、入園してからが大変でした。「朝、排便してから登園させてください」という幼稚園のお達しがありまして、あわただしい朝に排便までさせるのが実に大変でした。おまけに、朝のトイレ争奪戦は凄まじく、小さな我が家にトイレを二つ作る羽目にもなりました・・・

sleeping
<どんな仲>

<新米ママの成長メモ10:トイレットトレーニング>

*這えば立て、立てば歩めの親心と昔から言われていますが、たぶん子どもにはとても迷惑な話でしょうね。人にはそれぞれの個性と成長パターンがあります。「早く出来た」からと言ってどれだけ「得」になるんでしょうか? 昔は「子育て」とは言わずに、「子守り」と言っていたと言う話をどこかで聴きました。成長を見守るという子守りの響きは、とても心地よい感じがします。せかさず、ゆっくりで良いじゃありませんか!

*トイレットトレーニングのツールとして、昔はあひる型のおまるしかありませんでしたが、今は実用的でかつ可愛らしい小道具がたくさんあります。便器の穴に落ち込むんじゃないかという恐怖感もあるようですので、子どもの視線で工夫をするといいでしょう。ちなみに、ならざき小児科には「子ども専用」の可愛らしいトイレと「ユニバーサルデザイン」のゆったりトイレがあります!

第17回:「新老人のオーラ」

 2002年師走のある日曜日、たまたま神戸から帰ってきた娘を誘って、日野原先生の講演を聴きに行ってきました。

 私が日野原先生のことを初めて存じ上げたのは、20 数年前私が保健分野の仕事についてしばらくの事でした。私の古いノートにその時の、先生が何かにお書きになった文書の書き抜きがあります。

 「ただ長生きしているだけの人生は無駄である、人生を如何に生きるかに価値がある」

 その時すでに70歳代の先生のこの言葉に、衝撃と驚きと感動を覚えたのでした。価値ある人生というのはどんなものかと考えるようになった言葉です。

 最近、先生が「新老人の会」をお作りになりましたが、その参加資格は75歳以上、はつらつとボランティアに励んでいる等、いくつかの条件があります。福岡市にも支部があるそうですよ。価値ある人生をどう生きるかということを示唆する活動です。新老人を目指そう!と思う、今日この頃の寅でございます。

 講演会のテーマは「コミュニケーション」。先生はコミュニケーションのハウツーにはほとんど触れることなく、感性を磨くようにと言われました。若いときから多くのことに興味を持ち、チャレンジすること、体験することの大切さを説かれました。そして、常に学びのこころを持ち、ボランティアが出来ることを感謝し喜びなさいと、淡々と語られていました。

 こどもとのコミュニケーションについても少し触れられました。子どもの目線と同じレベルに大人が下りて一対一の会話をするようにと奨められました。当日の講演会場の聴衆は10代の高校生から70代の高齢者(新老人かどうか?)までと、かなり年齢の幅が広く、講師としてはとてもやりにくかっただろうと思いますが、先生の冒頭の言葉は「今日は最も若い方にメッセージを送ります、このレベルに合わせられる方は若々しい感性をお持ちの方だと思います」。大人レベルの内容をこどもに押しつけるのではなく、大人が余裕を持ってこどものレベルに合わせることのお手本を示されたようでした。

 コミュニケーションというのは、テックニックよりも、自分自身の内面を豊かに満たすことによって自然に他人に優しくなれるということ。そうすることによって自然にコミュニケーションがうまく取れますよと、おっしゃっておられるように聞こえました。

 講演会を聴きながら、若いころクマ院長から「オヒスレディー」なる称号をつけられ、つけられたことにもプンプンしていた自分を思い出しました。今考えてみると、家族にガミガミ言っていたあのころはやはり自分自身に中身も余裕もなかったように思います。あの頃の自分の姿がとても恥ずかしい気がします。こどもとの関係に悩むようになって、出口を求めて本を読んだりひとの話に耳を傾けたり、自己改造に努めたりしましたが、結果的にわかったのはこどもを管理しようと思うとうまくいかない、子どもと対話することでイライラが減り、ガミガミも不必要になるということでした。「親が変われば子も変わる」を実感しました。こどもにいろいろ要求する前に、まず親として、人として成長し続けなければ・・・・新老人のオーラを受けながら改めて決意した1日でした。

 

<新米ママ成長メモ9:反省と期待を込めて>
 「ボランティアが出来ることを感謝し喜びなさい」に込められている「ボランティア」の意味は、いま日本で普及している「経費ボランティア」のようなものではなく、「100% 奉仕」だそうです。本当のボランティアというのは余力でするのではなく、一定の自己犠牲を伴う奉仕でなければならない、そのことに感謝と喜びを・・・とおしゃっておられます。今の私は、家族に対しては自己犠牲を伴う奉仕によって感謝と喜びを思うことはありますが、他人に対しては未だにこの境地に至らず、目指す道のりはまだまだ遠く険しいの感があります。修行せねば・・・

第16回:「G7 のトップを走るニッポン!」

 WHO(世界保健機構)の統計の中に、日本男子がG7のトップを走る項目があります。大和撫子は逆に最低ですが、しかし、若き撫子の間では男女平等をうかがう兆しも見られます・・・さて、何だと思われますか?

 アメリカでは「依存症」という精神疾患に分類されているもので、「セルフコントロールの出来ない人」という社会的にマイナス評価も受けるのだそうです。何を隠そう、群を抜いてトップを走るのは「日本男子の喫煙率」です。

     <日本の喫煙率 男性:52.8%、女性:13.4%>

 日本はG7 の一国、いわゆる先進国の仲間です。外国人から見れば日本は大変「清潔な環境」の国です。上水道の水をそのまま安全に飲める国なんて、そう多くはないのです。すごい先進国だと思います。しかし、その分日本人はとても「無防備」です。海外旅行に行ってコレラに罹るのは日本人ばかりだそうです。安全呆けで「自分の健康は自分でと」いう自己防衛観念が不足しているのではないでしょうか。 ですから、何を指して先進国と呼ぶのかが大変問題ですね。物質的な文明先進国でもこころの豊かさ賢さはどうかな?と思うことが多々あります。「喫煙」がその1例です。

 喫煙が及ぼす健康被害というのは、各種調査・研究からすでに明らかになっています。肺がん・喉頭がんを筆頭とするすべてのがん、高血圧や虚血性心疾患・脳卒中といった循環器の病気、喘息・肺気腫などの呼吸器の病気、胃潰瘍・十二指腸潰瘍、早産や低出生体重などなどたくさんあります。最近では、乳児突然死症候群でも保護者のたばこが原因の一つではないかと言われています。

 欧米では国民の健康のため、特に青少年保護のため、たばこの広告規制が当たり前のこととして実践されているし、国民の喫煙率もどんどん下がっている。それに対して、日本はたばこ輸入大国、たばこ広告大国、その上自動販売機で青少年はいつでもお小遣い程度で手に入る。こんな国が先進国の仲間と言えるのでしょうか?とても不名誉なトップですね!

 ちなみに、先日クマ院長と娘と3人で高知のアンパンマンミュージアムに行ったとき、岡山から土讃線のアンパンマン列車にルンルン気分で乗りましたが、クマ院長が突然思い立った旅行でしたので、やむを得ず喫煙車両に乗ってしまいました。煙り責めで到着頃には、全員頭くらくら、胸ムカムカ・・・あ~立ってでも禁煙車両で行くべきだった。しかし、子どもたちもいっぱい乗っていたのに、何も考えずにタバコを吹かすお父さんたちや若き撫子の顔が私には悪魔に見えました。その夜は高知市のとある格調高そうな旅館に泊まりましたが、1歩玄関に入ったとたん嫌な匂い。ロビーの至る所に灰皿が置かれ、所かまわずタバコが吸える環境なんです!部屋は大丈夫だろうと思いつつ案内された部屋に行ってみれば、たまげたわ!ヤニの臭いが・・・夜通し窓を開けて寝ました。東京都千代田区の歩きタバコ禁止条例に比べ、今どき珍しいタバコに無頓着なエリアでしたね。

 特に小さいお子さんをお持ちの方は、ぜひ親になるのを一つのきっかけにして、自分のため赤ちゃんのため、たばことお別れしましょう。健康被害を覚悟して吸い続けるならば、完全分煙しましょう。なぜなら、あなたが吐き出す紫煙は死神です。赤ちゃんに吸わせないようにしてください。喫煙習慣は、こどもにとっていいお手本ではありませんので、見せないようにしましょう。

 もちろん、ならざき小児科は「健康を考えて全館禁煙」でございます。

(注)アンパンマンミュージアムは楽しかった!

第15回:「アドボガシーNOW!」

 先日名古屋市で行われた第12回日本外来小児科学会に、ならざき小児科からも大挙して参加して参りました。クマさんも、コアラさんも、うさぎさん達もそれぞれのワークショップで発表したりして、みんな大活躍でした。せっかく名古屋まで行って来たのに、観光どころか名古屋名物のみそ煮込みうどんや櫃まぶしも食べそこない、学会の会場に缶詰状態でした。しかし、その代わり多くの学びもありましたので、まあっいいか!

 今回は、その中から私が参加した一部の感想をご報告致します。

「待合室の絵本」というコーナー<その1>

 絵本作家の黒井健さんが、なぜ絵本をかくようになったのか、絵本に込められている思いについて話されました。世間一般的な常識としての「こどもに向く鮮やかな色彩」「こどもがよろこぶだろう」という絵本を書いていた時期の作品よりも、自分が心から「子ども達に何かを伝えたい」という思いで書いた作品や、「自分が表現したい色彩やタッチ」で書いた作品の方が、本当に子ども達に受け入れられているという話でした。話を聞きながら、やはりそうなんだとひとりで納得しているのでした。子どもは大人を見つめているのです、大人のこころを!子どもの視線に堪えられる大人でなければ・・・とあらためて思いました。

「待合室の絵本」というコーナー<その2>

 京都大学霊長類研究所の正高先生は「言葉の習得と絵本の役割」について話されました。先生が示されたデーターは言葉の習得というよりも、人格の形成に深くかかわるものでした。愛だけでは子どもは育たない、愛を伝えることが大切。それは日頃の何気ない語りかけであったり、読み聞かせである。テレビやビデオから流れてくる映像と音声のテンポや抑揚の刺激は乳幼児には強すぎるので、それに慣らされている子どもは人間の声に興味がなく反応しないし、集中力の持続が出来なくなるのだそうです。子ども達のこの現象は学級崩壊の原因でもあるという。ここで思い出したのは、最近日大脳神経科学森教授が「ゲーム脳」と名付けられ、発達途中にある子どもの脳がテレビゲームによって前頭葉がダメージを受けるという学説です。前頭葉というのは人間らしい感情や創造性を司るところです。昔、子ども達と大人達は手遊びや子守歌、童謡、昔話の語りというツールで向き合えましたが、今の大人にとってのツールは絵本であるし、絵本しかないようです。やはり子どもの問題というより我々大人の問題なんだと思いました。もっと子どもに本を!ブックスタートを推進する「ぞうさん文庫」をもっと活用して欲しい!そして、テレビのスイッチを切りましょう!

 基調講演「親と子の絆」

 児童精神科・思春期精神科が専門の佐々木正美先生が示された「コミュニケーションに失望しないための」処方箋は、「小さいときから多様な人間関係を築きましょう」ということでした。「人間の存在意味は人間関係の中にあり、人間関係の中にしかない」、「小さいときの人間関係の豊かさが将来の感情の豊かさにつなる」などの言葉に、あらためて核家族にみる孤独な育児環境というのは子どもの人格形成に及ぼす負の要素が大きいと認識させられました。手軽に様々な人と交流できる地域活動(町内会、育児サークル、公民館活動、PTAなど)に父親も母親も積極的に顔を出すことによって、子どもが多彩な人間関係に浸ることが出来るのではないかと講演を聴きながら思ったことでした。

 市民公開講座「おかあさんになったアイ ーチンパンジーの育児と文化ー」

  京都大学霊長類研究所の松沢哲朗教授からはアイとアユムにみるチンパン人の育児と文化の話です。人間の手で育てられたチンパン人は子育てを見聞きしたことがないし、子守の経験もないので、子チンパン人の50%は育たないというのは良く知られている事実だそうです。そこで、アユムが生まれてくるまで、アイに対して野生チンパンジーの育児シーンのビデオを見せたり、人形を使って抱き方の練習をさせたり、いわゆるマタニティー・スクールがありました。出産後約1時間もかかってようやくおっぱいにありつけたなど、危ない場面もありましたが、学習の効果が見られたようです。人間の世界も同じですね、なんの育児経験もなしに赤ちゃんが目の前に現れてくると、どうしたらいいのかわからない。思うようにならないとイライラ、育児放棄、虐待へと発展してしまう。育児は天性ではなく、文化の伝承です。チンパン人は父系社会ですが、父親である男性も育児に参加するのだそうです。母子を包み込む子育て支援ネットワークの広がりのパターンは、母→子守役として子どもの姉・兄・母の友人(女性)・伯母→父・祖父母→子どもの同年齢の遊び友達というように、子チンパン人はしっかりチンパン人間関係を経験しているのです。チンパン人の教育文化の基本は、(1)親は手本を示すだけで積極的な教示はしない、(2)子どもは親のやることを見続け、真似て自分でする、(3)親はきわめて寛容である。人間は頭が良すぎるのでややこしくなってしまったんじゃないでしょうか。同じ生き物として生きる基本は、チンパン人に見習うべきものが多いように思いました。

 学会のパンフレットには、以下のような《禁煙について》の注意事項がありました。

 『本学会は、従来より子どもの健康を守るために禁煙活動を推進しております。学会使用会場はすべて禁煙とさせていただいております。国際会議場としての喫煙場所はありますが、学会に参加される方は、この趣旨をご理解いただいて禁煙をお願いいたします。やむをえず喫煙をされる場合には、名札をはずしていただくか、屋外喫煙の励行をお願い申し上げます。』

 7月に成立したばかりの「健康増進法」には、禁煙・分煙の推進の規定があります。健康のためにはこれぐらい毅然とした見識と行動が必要ですね。まさしくアドボガシーNOW!

 ちなみに、今回の学会のスローガンは『アドボガシーNOW!子ども達のためにもっと出来ることがあります!あなたにも出来そうなことがあれば、今から始めてみましょう!』です。なにかを始めましょう!

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